2018年04月26日

食の倫理は自身の身体・心・魂の健康のため?

料理学校では、料理や製菓の実習だけでなく、理論も学びました。その際、毎回のように、「食の倫理(生産労働者環境、生育環境、地球環境への配慮)」が出てきました。

1.生産労働者環境:食品の生産過程で、現代でも、奴隷労働者(誘拐された子ども、不法移民等)が使われている現状を知りました。その対策として「フェアトレード」マーク入りの食品も出回っていますが、偽装などの課題が残されていることを学びました。
2.生育環境:劣悪な環境で飼育されている食用動物達の現状でした。こちらも「フリーレンジ」や「フリーファーム」など、手間の掛かる分、割高の商品も出ていますが、「1」と同様に偽装などの課題が残されていることを知りました。
3.地球環境への配慮:育成や貯蔵、運搬に使われる化石燃料(地球温暖化の要因とされている)の問題でした。例えば、地元で季節に収穫された農作物は、栄養価も高く、安価なだけでなく、化石燃料の使用も最小限に抑えられることを学びました。

高江洲薫先生のお話では、この世に存在する全ての物質には、エネルギー(氣)が存在し、良い・悪いではなく、自分が所有するエネルギー(氣)以外は身体・心・魂に影響を及ぼすため、浄化(取り除く)する必要があるそうです。まるで、入浴して皮膚の汚れを洗い流すかのように。エネルギー(氣)は、触れるだけでなく、電話やメールを通じても伝わるそうです。ましてや、食物は体内に入れるものですから、それの持つエネルギーの影響は、とても大きいと言えます。

このように、エネルギー(氣)で食の倫理を考えると、他者(奴隷労働者の方々や劣悪な環境で飼育されている食用動物達、地球環境)への配慮という他人事で済まされることではなく、自身の肉体・精神・霊性に大きく影響しますから、自分自身のこととして重視するべきなのかもしれません。

上記の「1」の視点では、食物に労働者のネガティブ(辛さ・恨み等)なエネルギーを含んでいる恐れがあります。ある指導シェフは、「低賃金でバイトしているキミ達も、ある意味で“奴隷労働者”と言える」と話していました。貨幣価値の低い国から来ている留学生達の中には、数人でアパートの1室を共有し、最低賃金以下の時給でバイトする学生達も少なくないそうです。
同様に「2」の視点でも、労働者と同様に、食用動物達のネガティブなエネルギーを含んでいる恐れがあります。
「3」は化石燃料の廃棄ガスは良いエネルギーを発しないことは容易に想像できます。また、いくら人工的に新鮮さを保った食材であったとしても、収穫または精肉された時点から鮮度が落ちることは免れず、同時にエネルギー(氣)のレベルは低下することが想定できます。

更に、上記の視点に加えて、それを運搬する人、調理する人、運ぶ人の持つ人、調理する場所や食べる場所の持つエネルギー(氣)に対する配慮も必要と言えます。食のプロとして、物理的な食品衛生だけでなく、エネルギー(氣)的にも「汚染」されたものとならないよう、十分に気をつけたいと思っています。しかし、大人数の注文が立て続けに入った時など、つい「えっ、また来た!」という気持ちになってしまうので、まだまだ、修行が足らないと反省しています。

極論を言うなら、毎日、自らのエネルギー(氣)を浄化し、浄化した場所で食料を栽培し、浄化した場所で自炊し、浄化した場所で食べるしかなく、現実的ではないように思えます。しかし、何事も完璧はあり得ないですから、1つ1つ、可能なところから、実行するしかないですね。何もしないよりはましと考えて・・・。食べる前に、一旦、神に食べ物を捧げ、「神の食べ物」としていただくと、何もしないで食べるよりは、食の持つネガティブなエネルギー(氣)を軽減できるそうです。日本語の「いただきます」は、そのような意味があったのだと思いました。

Tadashi

以下は、「食物と健康と霊性(著:小窪正樹)」の第7章2節にある、サティア・サイババの話からの引用です。
「同じ場所で仕事をしている人々・場所・調理器具・料理人・給仕の心の揺れ・感情 こうしたものすべてが、食事をする人の本性と感情に微妙な影響を与えています。」

また、以下は、「すべてはブラフマンなり(述:サティア・サイババ、訳:若林千鶴子)」の第7章1節の一部です。
「神への崇敬の念で大気を満たしなさい。雲は雨によって田畑に神聖をもたらす。神聖な雨によって生育した作物は食物を浄め活力を与える。食物は人びとに神へのうながしを与える。」

さらに、facebook「サイババの言葉‏ 」の2017年6月15日には以下の記述がありました。 
「食物を準備する人、取り扱う人がその食物に及ぼす微妙な影響というものがあります。そしてその影響は、その食物を口にする人に吸収されます。食物は人格の基です。」サイババ1962年4月5日
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2018年04月25日

今日のスコーンは(その2)

ここニュージーランドでは、今日は、戦争で亡くなった方々を追悼するアンザックの日で祝日です。勤務先のカフェでは、祝日の出勤時間は通常より遅いのですが、今日は、いつもより早く出勤しました。何故なら、明け方に行われる追悼式典の参列者の方々が、早朝から来店されることに備え、いつもより開店時間を早めたのでした。

オーナーからの指示で、いつもよりもスコーンを多めに焼き上げました。デーツスコーンもチーズスコーンと同量で、しかも、両方ともいつもの2倍の量でしたが、開店から2時間ぐらいで、半分近くのスコーンが売れていました。厨房を閉めて帰る際、キャビネットを覗くと、2〜3個のチーズスコーンと4〜5個のデーツスコーンが残っているだけでした。

料理の方も、朝食の時間帯から昼食の時間帯を過ぎるまで、注文が途切れなく入り、休む間もないくらいでした。しかし、1度に、4〜5枚の伝票が並ぶことはなく、先の注文が仕上がると、次の注文が入るような感じだったので、いつもよりはストレスが少なく、淡々とこなせました。

最近、「自己信頼(自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること)」と「信仰心(自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心)」、「無私(神聖な存在のよい道具に徹すること)」、「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」、「自愛(ありのままの自分を認め、許し、愛すること)」で決まり文句のようですが・・・。最近になって感じることは、この5項目を心がけるようにしていると、まるで何か(きっと、神聖な存在・・・)に守られているかのように安心して専念できて、仕事が終わった後の心身の疲労感が違うことです。

食のプロになって3年半が過ぎ、やっと芽が出てきたような気がします。この5項目の重要性を実感するために、この地で新しいキャリアに挑戦することになったような・・・。食という、超現実生活を行いながら、精神修行を行っているような、不思議な感じがします。全て「神の計画」だったと考えれば、この先の人生も、何が起ころうが、不安になる必要はないですね。何があっても「愛(=神)」を失うことはないと分かってきましたから・・・。それ以外(今世の自分の肉体も含め)は、いつかは消えてなくなるものですから、1つ1つ執着を減らして、身軽になりたいものです。

Tadashi
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2018年04月19日

愛を伴わない信仰は役に立たない?

これまでも、今世の自分に与えられた能力・才能を発揮し、自分や他者を幸せにするためには、以下の5項目が不可欠だと書きました。

1.自己信頼:自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること
2.信仰心:自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心
3.無私:神聖な存在のよい道具に徹すること
4.全託:全ての判断を神聖な存在に託すこと
5.自愛:ありのままの自分を認め、許し、愛すること

しかし、2018年4月11日のFacebook「サティヤ サイ ババの御言葉」で、「愛を伴わない信仰は役に立ちません。」という記述を目にして、何を行う時にも、愛が伴う必要があると教えていただいた気がします。何故なら、「神は愛が具現化したもの」と捉えれば、「愛が伴わなければ、神が伴わない」ということですからね。

(以下、Facebook「サティヤ サイ ババの御言葉(2018年4月11日)」から引用)
「・・・(前略)・・・神の意志よりも偉大なものはありません。すべては神の意志によって起こります。神の意志を知り、神の意志に従うことは、人間の第一の義務です。・・・(中略) ・・・信仰と愛があれば、他のすべてのものはその人にもたらされるでしょう。多くの人々は信仰を持っていますが、愛に欠けています。愛を伴わない信仰は役に立ちません。電流のマイナスとプラスのように、愛と信仰が同時に存在しなければなりません。―2007年12月26日」

実は、「ハイヤーセルフ(higher-self)からのとても分かりやすいメッセージ(2010年07月30日)」でも書きましたが、「愛」は今世の自分にとっての大きな課題だと認識しています。作り話だと思われる方も多いでしょうが、当時、オーストラリアのショッピングセンターで、大きな漢字の「愛」という文字が全面にプリントされたトレーナーを着ているおじさんを見かけたのでした(しかも、その文字の色は、愛情を意味するピンク色)。当時の私が考えていた「愛」は、「愛着(単なる執着)」だったと、この8年間で気づかされました。また、自愛どころか、自己信頼、信仰心、無私、全託とは無縁で、目先のことだけで精一杯だったような気がします。

私にとって、愛が大きな課題なのは、今世に始まったことではないと、高江洲薫先生による過去世リーディングで知ることができました。私の場合、過去世での出来事は全く覚えていませんが、当時の感情は鮮明に残っていますので、自分の魂が体験した事実なのだろうと感じています(事実、他者の過去世リーディングを見ても、自分の魂が経験していないことに関しては、他人事のように感じます)。

今から約900年前、私は、アンコール朝(現在のカンボジア)の僧侶だった過去世があります。本人は、「本来、僧侶とは神に仕える者で争う者ではない」と考え、派閥闘争から抜け、平和な時代が来るよう、ひたすら神に祈り続けるのでした。しかし、結局、本人の望むことは何も叶わず、長期間の厳しい修行と断食により人生を終えました。その際、「自らの判断が正しいかどうは、いつになっても分からない」というプログラムが、私の魂に刻まれことを知りました。

この時に自己信頼も、「神=愛」への信頼も失いましたから、その後の過去世では、時には権力、時には地位、時には富を得えた人生を体験しても、いつも途中で失い、最期は、恨みと悲しみで終わる人生の繰り返しでした。高江洲薫先生から今世の言霊として、「私は恨みと悲しみの人生を終了し、愛と喜びをもたらす道を歩みます」をいただき、自分の魂の決意を知りました。

もし、僧侶の過去世の時、「愛と信仰が同時に存在しなければならない」と知っていたらと思わずにはいられません。しかし、全ては「神の計画」ですから、今が「神の時」なのでしょう。全ては「神の計画」としてあるのなら、表面的な「失敗・成功」には大きな意味はなく、全てを「必要な経験」として受け入れることが、神の目から見た「大成功」だと感じました。いくら世間から大成功の人生と思われたとしても、信仰と愛が伴わないのであれば、神の目からすれば違ってくるのかもしれません。

「信仰と愛があれば、他のすべてのものはその人にもたらされるでしょう」という言葉を信じ、諦めることなく、1歩1歩、前進したいと思います。時には、後退しているように思えても・・・。

Tadashi
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2018年04月18日

10年前の今日は・・・

去年、「9年前の今日(2017年04月18日)」でも書きましたが、10年前の今日は、当時、オーストラリアで暮らしていた家内と一緒に生活するため、日本を離れた日でした。

まさか、10年後、自分が、オーストラリアではなく、ニュージーランドで暮らし、しかも、50歳を目前に、10代の頃に興味のあった調理と製菓を学び、50歳を過ぎて、現地のカフェでシェフ兼ベーカーとして働いているとは、全く考えもしませんでした。・・。

そして、1年前のブログでは、「自己信頼(自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること)」、「信仰心(自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心)」、「無私(神聖な存在のよい道具に徹すること)」について書いていますが、その後、「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」と「自愛(ありのままの自分を認め、許し、愛すること)」の必要性にも気づかされました。

それから、「Sathya Sai’s Message for the Day」という日めくりの4月11日のページには以下のメッセージがありました。

「God, who is the embodiment of love, can be attained only through love, just as the effulgent sun can be seen only though its own light.」

以下のような意味になると思います。
「ちょうど、光輝く太陽は、その光を通じてのみ見ることができるように、愛が具現化された神は、愛を通じてのみ獲得することができる。」

愛が具現化されたのが神」だったとは、目から鱗が落ちる思いでした。だから、「神は愛、愛は神」と言われる由縁ですね。実は「自分には神が見えない」と思っていましたが、「愛=神」は、目で見るのではなく、心で感じるものなのだと教えていただいたように感じます。また、「愛は最大の防御であり、最大の武器でもある。愛は敵を味方にも変える。」と言われる由縁は、「神は最大の防御であり、最大の武器でもある。神は敵を味方にも変える。」と捉えれば、納得ですね。

それから、「神は全ての魂に内在する」「愛は全ての魂に内在する」と捉えれば、分かりやすいです。どんな魂にも、多い少ないの違いはあれ、愛は存在するものですからね。だから、愛なしには生きられないものなのでしょうね。ただ、私が「愛」と思い込んでいたものは、愛着や執着だったような気がします。今、「真の愛(無条件の愛)」を学ばせていただいています。

この10年間、いろいろなことがありましたが、全ては「神の計画」だったと気づきました。上手くできたか、上手くできなかったかは、全く関係なく、この間、諦めることなく1歩1歩、前進し続けたことは、神の目からすれば「大成功」だったのかもしれません。まあ、3歩進んで2歩下がる、時には、2歩進んで3歩下がるの時もありましたが、今では、速さではなく、全ての体験に意味があったと思えます。

Tadashi
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2018年04月17日

今日のスコーンは

20180417.jpg毎朝、ベーカリーから仕入れたクロワッサンやデニッシュを販売していますが、今朝は、仕入れ先の都合で、配達がありませんでした。そのため、いつもは、甘いデーツ・スコーンは、チーズ・スコーンより少なめに作っていますが、オーナーからの指示で、同量を作りました。

帰り際、店頭のキャビネットを覗くと、なんとデーツ・スコーンは完売していて、チーズ・スコーンが2個とマフィンが1個残っているだけでした。チーズ・スコーンは、開店して間もないうちに完売してしまい、2度目を作ることもありますが、今日は、デーツ・スコーンの売れ行きの方が良くて、驚きました。

実は、旧オーナーの時、当初は、両方のスコーンを作っていましたが、デーツ・スコーンの売れ残りが多く、販売を止めていました。デーツ・スコーンには、ドライ・デーツを入れますが、作成の過程で、デーツが水分を吸収してしまうため、硬くなったり、中がぱさついたりするため、チーズ・スコーンよりも、難しく感じていました。水分の加減や、デーツを入れる作業工程など、試行錯誤の末、最近は、随分と改善できたところでした。

粉とバターを混ぜ、牛乳を加え、生地をまとめ、成形し、オーブンで焼き上げるだけと、とても単純な作業工程ですが、パンのような食感に仕上げるためには、奥が深いと感じます。日本に一時帰国した際、家庭用オーブンで作りましたが、材料の品質が異なるのか、オーブンが高温にできないからなのか、原因は不明ですが、モチモチした食感となり、全く別の食べ物になって、ガッカリした記憶があります。

Tadashi

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2018年04月14日

たかがスコーン、されどスコーン

20170406-2.jpg今日、カフェのオーナーから、スコーンについてお客さんからのフィードバックを聞きました。「外はカリカリで、中はフワフワで、今まで食べたことがない。」という内容でした。こちらの多くのカフェで作っているスコーンは、料理学校で習ったスコーン(日本でも馴染みのあるタイプ)と作り方も仕上がりも違うため、最初は戸惑いましたが、試行錯誤を重ね、1歩1歩、完成度が高まってきた感じです。

石の上にも三年と言いますが、3年半経った今、料理学校で習った製菓の理論と実技を応用しながら、試行錯誤を重ねた結果、1歩、1歩、お客さんに喜ばれるようになってきました。最初の頃に作ったベーキングの写真を見ると、今では、お恥ずかしいぐらいです。未熟な商品を買ってくださったお客さん、無料で場所と食材を提供して給料まで払ってくださった前の経営者への感謝は忘れないようにしたいと思います。

若い頃、職人だった父は「職人は一生涯勉強だ。」というのが口癖でした。確かに、毎回、必ず改善点があります。何事も完璧はあり得ず、どれだけ、完璧に近づけるかなのだと痛感するこの頃です。食材や設備が異なれば、仕上がりも異なります。それでも、同じ品質を提供できるのがプロなのだと学習しています。

Tadashi
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2018年04月11日

イースター休暇も終わって

イースター休暇が終わり、カフェも落ち着きを取り戻しつつあります。それでも、旧経営者の時とは異なり、それなりに料理の注文が入るため、単独で担当する月曜日と火曜日は、気は抜けませんが、勤務中に10分休憩が取れる日が増えました(こちらでは、4時間勤務する毎に、10分間の有給休憩が労働者の権利として認められていますが、8時間以上勤務でも2回どころか、1回も取る暇もないことが多々です)。

先週の金曜日、アーモンドビスケット(約20個)を焼きましたが、月曜日には残り4個しかないと言われ、合間を見ながら作りました。実は、いつもベーキングを始める途端に、料理の注文が入り、悲惨な結果になることが多く、単独の営業時間内にベーキングすることは諦めていました。しかし、今回は、重なることもなく、美味しそうに仕上がりました。

また、お客さんからのリクエストで、最近、チョコレートケーキを再開することになりました。実は、2人いたシェフの1人が辞める際、新規募集は行わず、私がその分をカバーする代わり、ベーキングの時間が減る分、ケーキは、キャロットケーキだけに限定していたのでした。限られた人員・時間の中で、付加が掛かることですが、もう1人のシェフの協力も得ながら、リクエストに応じています。

それから、アンザックデーが近いので、昨日は、久々にアンザックビスケットを焼きました。これも、以前は、常備していましたが、ベーキングに使える時間の削減に伴い、止めていたのでした。

私の場合、一つのことだけに集中するより、楽しみながら料理とベーキングをこなす方が、仕事に対する喜びが増し加わることを実感しています。料理学校に通っていた頃、実習検定では、毎回、作業計画書を作成し、時間制限の中、時には4〜5種類の品を課せられることもあり、いろいろな行程を、同時に行う訓練になりましたが、今、現場でとても役立っています。様々な失敗を繰り返しながら、最も効率のよい作業の段取りを学習しています。

Tadashi
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2018年04月10日

「良い人」も「悪い人」も、ただの幻?

2018年4月10日の「今日の御言葉」に「世界は自分の好き嫌いに応じて二つに見えます。」という内容のものがありました(参照:下部)。以前に「良い人と悪い人(2011年02月12日)」という記事を書いていましたが、単に自分の「好き嫌い」によって違って見えるだけだったとは驚きです。

この「今日の御言葉」は、とてもタイムリーに、いつも自分が求めている答えを得られるので、私のために、私に分かりやすい方法で、メッセージを伝えてくださっているのだと感謝しています。自分の考え方次第で、世の中の物事が、全く違って見えるものだとは、知りませんでした。

Tadashi

<以下、引用:今日の御言葉 2018年4月10日>
世界は自分の好き嫌いに応じて
二つに見えます。
自分が好きなものは良いものに見え、
自分が嫌いなものは悪く見えます。
自分が好む人については、
その人が何をやっても、
たとえ悪いことをしても、
喜ばしいものに見えます。
自分が好まない人については、
たとえその人が良いことをしても、
悪く思えます。
            ― サティヤ サイ ババ
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「今日の御言葉」
 編集:サティヤ サイ 出版協会
 発行:サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
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2018年04月08日

私の人生を変えた「オーラ印象図」

20050205.jpg「私のヒーリングとの出会い(2010年04月03日)」で、13年前にオーラリーディングのモデルなった時のことを書きました。
今、振り返れば、当時、見せられた「オーラ印象図」が私の人生を変えたと言っても過言ではないと感じています。

その絵の説明は以下の通りでした。
「頭には潜水ヘルメットを被りながらも、圧縮空気のタンクには接続されていない。
腰には不必要なほどの重りを巻き、足には左右ちぐはぐな足ヒレを付けている。
しかし、本当の海は遠く離れているのに、ビニールプールの中で、怖くて震えている。
しかも、航海用のカヌーは既に用意されているのに。」
今でも、この絵を見る度に、涙がこみ上げてきます。

10年前、既に40歳を過ぎての一大決心で、当時、家内が暮らしていたオーストラリアへ渡りましたが、今、振り返れば、内海での練習だった気がします。そして、6年前、50歳を目前に、新しいキャリアを始めるため、単身でニュージーランドへ渡りましたが、いよいよ外洋航海の始まりでした。

いつも「遭難」しそうになるまで追い込まれ(いつも、目に見えない存在に守られ、実際に「遭難」することはなかったのですが・・・)、その度に、「自己信頼(自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること)」、「信仰心(自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心)」、「無私(神聖な存在のよい道具に徹すること)」、「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」、「自愛(ありのままの自分を認め、許し、愛すること)」の重要性が骨身に染みました。

人間は極限まで追い込まれなければ、気づけないことが多いのかもしれませんね。もう13年前の「不自由な自分」には戻りたくありませんが、当時の自分も認めて、許して、愛せるようになると決心します。そして、当時の自分へ「キミの頑張りのお陰で、今はとても自分らしく、自由に生きることができるようになりました。ありがとうございます。とても感謝しています。」と伝えます。

Tadashi
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2018年04月07日

どんな自分にも満足できるかを試されているかも?

改めて「ありのままの自分を認めて、許し、愛そう」と決心したら、とても気持ちが楽になりました。実際にできているかどうかは、あまり問題ではないようですね。人間でいる限り、何事も完璧にできる筈がないですから・・・。

今の自分が置かれた状況は、とても恵まれている環境です。また、全て自分の思い通りになってしまったら、慈愛を学ぶことができなくなります。少し思い通りならないことに不平・不満を感じることは当然なのに、それを感じては駄目だと勘違いし、その気持ちを無視していたことが問題でした。

気づいたら、不思議なもので、不平・不満だったことの1つが解消しました。全ての現状は、自分に気づかせるための「大いなる神の計画」だったとしか思えません。これからは、もし、不平・不満を覚えた時は、そのように感じる自分も認め、それに対する判断は、全て大いなる神にお任せすることにします。そして、「神の時」を待ちたいと思います。自分が変われば、現実も変わって見えるものですね。

7年前、「良い人と悪い人(2011年02月12日)」という記事を書いていました。世の中には様々な価値観があり、相互に理解し合うことで、慈愛の心が育まれるそうです。しかし、それを避け、ただ自分の価値観だけに拘り続ける限り、慈愛の心が育まれなくなるため、そうならないよう、「いくら頑張っても辛い状況」に陥りやすいのかもしれません。

Tadashi
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2018年04月05日

「我慢」では長続きしない?

数日前の仕事中、とても些細なことで憤りを覚えることがありました。相手からすれば当然のことだし、堪えきれない程の怒りとなることはありませんでしたが、何か解せない感情が、時間の経過と共に大きくなる感じでした。まるで、「自分がどんな思いで仕事しているかなんて、誰にも分かりやしない!分かってたまるか!」のような、悔しいような、切ないような感情でした。

これはまずいと感じて、冷静に自分と向き合いました。ありがたいことに、昨日と今日は仕事が休みでした。しかも、家内は日本へ一時帰国中のため、自分と向き合う時間は十分にありました。

その結果、「不平・不満や批判は、自分のエネルギーを下げてしまうから、好ましくないけれど、その気持ちを抑え、何事もなかったかのように我慢しても、長続きしない。」ことを思い出しました。結局、心の隅に「不平・不満や批判」が埃のように残っている限り、何かの拍子に「火の粉」が飛び込んでくれば、一斉に燃えさかってしまうものですね。

不平・不満や批判の感情を持ってしまう自分も、認めて受け入れることにしました。当然、自力では限界ですから、神聖な存在の助けは不可欠ですけれども。どうしても「いい人」ぶってしまう癖があり、その結果、自分が辛くなってしまうのですよね。気づいたら、とても気持ちが落ち着きました。

自分の気持は誰にも分からないですが、それと同様に、自分以外の気持ちも完璧には分からないものですよね。ただ、神聖な存在だけが分かってくださっているだけで十分だと考えることにします。慈愛を学ぶために生かされているだけですからね。そのためには、自愛から始めるしかないですね。いつも笑顔でいるためには、まず、どんな自分(不平・不満や批判の感情を持ってしまう自分も含めて)も、ありのまま認めて、許し、愛することが必要だと学習しています。

Tadashi
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2018年04月02日

笑顔の効果?

今日はイースター休暇の最終日、イースターマンデーで祝日でした。
朝、出掛ける前、神聖な存在に、「今日1日、どうか笑顔で仕事ができますように。」と祈りました。

いつもは、一度期に注文伝票が集中することが多いのですが、今日は、精々、数枚の伝票が並ぶ程度で、いつものように「必死」なって仕事する状況にはなりませんでした。1つ仕上がった途端、次の注文が来るという感じで、あまり「忙しい」と感じることなく、仕事に専念できました。

仕事中、夢中だったので、笑顔だったかどうか、自分では分かりませんが、神聖な存在が助けてくださったのだと感じました。全てにおいて「自由意志」が尊重されるらしく、いくら神聖な存在が助けたいと思っても、当人が望まない限り、手助けできない掟があるのだそうです。

今日、感じたことは、いつでも神聖な存在は、正しい方向に導いてくださっているにも拘わらず、自分が不平・不満、批判など、ネガティブなエネルギーを発している場合、神聖な存在のお力を受けることができなくなる状態になることです。いつも笑顔でいることは、何よりも自分のためなのかもしれません。気づかせてくださったことに感謝します。

Tadashi
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2018年03月30日

いつも笑顔

今から6年前、尊敬する先輩を通じ、自分のハイヤーセルフから以下のようなメッセージを頂きました。

あなたの笑顔は、希望と喜びをもたらします。
あなたの心の奥にある大切なものを両手で優しく包むように守りなさい。
あなたの大切なものはさらに輝き、愛と癒しの光を放つものになります。
どうぞ、笑顔を忘れないでください。

そして、2018年3月29日の「今日の御言葉」に「自分のすべての仕事を微笑みながら行いなさい。」という内容のものがありました(参照:下部)。

仕事中、料理の注文が途切れなく来て、時間に追われていると、笑顔を忘れて、ヒマシ油を飲んだような顔をしてしまっている気がします。「そのような顔は何の役にも立ちません。」と言われてしまうと、ただ、「私が至りませんでした。申し訳ございませんでした。」と謝るしかないです・・・。

自分にとっての幸せは、自分が作ったものを食べてくださった方が喜んでいる姿を見ることで、毎日、それができることは、とてもありがたいことの筈が、仕事意識が強くなると、完璧主義の性分も加わって、どうも「自己犠牲」のようになってしまいます。もっと、幸せに感じながら仕事ができるように、神に願い続けたいと思います。

今日は、仕事中、笑顔を忘れないように最善を尽くしてみました。何の役にも立たないのでは、切ないので・・・。仕事中、今朝、自分が焼いたチーズスコーンを食べることができました。翌日の売れ残りは食べたことがありますが、最近、完売することが多く、しばらくぶりですが、やっぱり、その日に焼いたものの方が柔らかくて、美味しかったです。神聖な存在からの祝福だと思って、感謝します。

Tadashi

<以下、引用:今日の御言葉 2018年3月29日>

自分のすべての仕事を
微笑みながら行いなさい。
いつも笑顔でいなさい。
決してヒマシ油を飲んだような
顔をしてはなりません。
そのような顔は
何の役にも立ちません。
幸福とは神との結合です。
それが真の神性です。
            ― サティヤ サイ ババ
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「今日の御言葉」
 編集:サティヤ サイ 出版協会
 発行:サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
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2018年03月29日

批判するより感謝する方がお得?

日常生活では、つい感謝を忘れ、不平や不満、批判ばかりになりがちですね。しかし、「エネルギー(氣)」の観点では、損な状況とも言えます。なぜなら、不平や不満、批判はネガティブなエネルギーで重いからです。高江洲薫先生は、「何かを成し遂げようとする時、どれだけエネルギー力を高められるかが重要で、技術的なものは、いくらでも後からついてくる」とおっしゃいます。

これまでの自分の人生を振り返ると、いくら努力・忍耐しても逆流のように感じた時、逆に、追い風に乗ったように感じた時がありました。因果応報、発した「エネルギー(氣)」は、全て戻ってくると言いますが、不平や不満、批判より、感謝する方がお得なのかもしれません。

この世に存在する全てのものには、神聖な存在が宿るそうです(生き物だけでなく、石や水にさえも)。仮に、何かを批判すれば、それに内在する神聖な存在を批判したことになり、当然、神聖な存在は自分の中にも内在するわけですから、結局、「自分(=神聖な存在=他者」を批判していたことに気づかされます。

そうは言っても、不平や不満、批判したくなる状況に対して、感謝することは、なかなか、容易ではありませんね。我慢では長続きしないものです。表面的に感謝しているふりをしても、内在する神聖な存在には全てお見通しです。更に状況が悪化し、最終的には怒りが炸裂して、「また、やってしまった・・・」の繰り返し。それでも、焦らない、慌てない、慌てない。

目の前の現実はマーヤ(幻)で、慈愛の心を育ませるために生じているだけだそうですから、逆に慈愛の心を成長させれば、何事も永年には続かないと言われるように、状況が変わります。例えば、あるスタッフに対して「あれもできない、これもできない」と批判的に感じていましたが、「これも、あれもやっていただけて、ありがたい」と感謝の気持ちを持つようにしてから、別人のように変わり、驚いたことが何度もあります。

目の前の状況は自分の過去(過去世も含め)の言動が原因で起きているので、自分が変われば未来の状況が変わるのだそうです。独りよがりの正義感に拘るよりも、慈愛の心を育めるか(自分のことだけで精一杯の人生から、周りの人々のことを理解しようと努力し、周りの幸せも願うことができるか)の方が、自分の人生にとっては重要だと感じます。

Tadashi
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2018年03月27日

自分の心配事は自分自身が作っている?

先週は、月曜と木曜日が休みで、しかも、木曜日の夜にミーティングがあったので、あまり休んだ気がしませんでした。その上、先週末は土曜日も日曜日も、料理の注文が途切れることもなく続き、ヘロヘロでした。今週は、水曜日と木曜日と2日間の休みなので、気分転換を図りたいです。今週末はイースター休暇で、金曜日と月曜日が祝日で忙しくなりそうですが、期間中は午前7時からの勤務で、日曜日は休業のため、ありがたいです。

全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)を心がけるようになってから、心配事は徐々に少なくなってきましたが、それでも、時折、「どうしよう?」と心配しそうになることが多々あります。頭では、まだまだ、未熟な人間ですから完璧はあり得ないと分かっているつもりでも、完璧主義の性分がなかなか抜けなくて困りものです。

数日前の「今日の御言葉」に、「あなたの心配事はすべて、あなた自身が作っているのです。心配事は神に与えられたものではありません。」を見て、驚愕しました。てっきり、神が与えてくださった「試練」だと思っていたもので・・・。心配事も、神聖な存在に託せばいいのですよね。

Tadashi

<以下、引用:今日の御言葉 2018年3月24日>

妻が夫に従い、夫が妻に従うとき、
その家庭には大いなる幸福があります。
自分の家庭が
そのような一体性と調和を得るよう努めなさい。
そうすれば、あなたの一生は、
何の心配事もない、
幸せで平安に満ちたものとなるでしょう。
あなたの心配事はすべて、
あなた自身が作っているのです。
心配事は
神に与えられたものではありません。
            ― サティヤ サイ ババ
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「今日の御言葉」
 編集:サティヤ サイ 出版協会
 発行:サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン
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2018年03月20日

今日は義父母の50回目の結婚記念日

今日は、義父母の結婚記念日&義母の誕生日です。しかも、今年は50周年、「金婚式(Gold Wedding)」です。8年前の父母の金婚式の時は、オーストラリアでお祝いしました。義父母の金婚式のお祝いは、ニュージーランドで行えたら嬉しいなと思います。

それにしても、義母の誕生日に結婚するなんて、お洒落な夫婦ですよね。我々夫婦も、家内の誕生日に結婚しましたが、高江洲薫先生から「妻の誕生日の結婚式は素敵だよ」と言われなかったら、考えつきもしませんでしたから・・・。

Tadashi
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2018年03月08日

仕事を楽しむ

先週、久しぶりに仕事でアーモンドビスケットとチョコレートブラウニーを作りました。やはり、ベーキングは楽しいと感じました。

前にも書きましたが、最近は、ベーキングより料理の比重が高くなっていました。ベーキングは、早朝に焼き上げるスコーンとマフィン、料理の合間に作るキャロットケーキぐらいで、料理の注文や下ごしらえに追われる日々でした。

以前に受けた、高江洲薫先生によるライフリーディングのセッションの記録を読み返して、妙に合点がいくことがありました。
「一つの仕事に熱中すると燃え尽きるまでやってしまう傾向にあるため、途中で疲れ果てその仕事を断念しかねない。一方、好きなことや芸術的なものに対しては、飽きたり冷めたりすることもない。そのため、好きなことを楽しみながら行うことが理想的。但し、好きな仕事でも、熱心になりすぎて仕事意識が高まると、精神的な負担が増え、心と体のバランスを失いやすくなる。それを防ぐためには、一つに集中するより、楽しみながらいくつかをこなした方が、仕事に対する喜びが増し加わる。大切な事は、無理せず、“心の平安と安らぎ”を大切にし、精神的な満足感を中心とした人生を送ることを勧める。」

確かに、「楽しむ」という視点を完全に忘れ、いつも時間に追われる日々でした。子どもの頃、好きなことをやっている時は、食事の時間になっても、なかなか途中で止めようとしなかったことを思い出しました。

今は、カフェで調理と製菓の修行中ですが、将来的には、自分が好きなこと(調理・製菓、ヒーリング、ダイビングガイド、旅行のプランニング等)を楽しみながら行うようになれるように、自分に内在する神聖な存在に願い続けたいと思います。

Tadashi
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2018年02月25日

プロ修業、只今3年半

ここオークランドにあるカフェの厨房で働き始めて3年半が過ぎようとしています。途中でオーナーが変わり、従業員も次々と変わり、気づけば、自分の業務内容も変わりました。

こちらの料理学校で約2年弱、料理と製菓を学びましたが、最初はキッチンハンド(皿洗い・調理補助)でした。1ヶ月後にベーカー(スコーンやマフィン、ケーキ、菓子等の焼き上げ)となり、その後、ベーキングだけでなく、料理も担当するようになりました。オーナーが変わってからは、ベーキングに専念できるようになりましたが、半年前からは、料理の方の比重が高まり、在庫管理や食材発注なども担当しています。最近では、平日でも料理の注文が増えて忙しくなり、ベーキングは、開店前にスコーンとマフィンを仕上げ、料理の注文の合間にキャロット・ケーキを仕上げる程度となりました。

幼い頃から、何でも自分でやらないと気が済まないというか、あまり人に任せるのが得意ではありません。しかし、仕事でも家庭でも、「自分以外に感謝して頼って任せる体験」が増えています。何でも自分で抱えようと思っても、自分以外の方々に頼って任せなければ、立ちゆかない状況というのでしょうか。徐々に、難易度が高まっているように見えますが、これは、神聖な存在が、私に「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」の重要性に気づかせるためのように感じます。

料理学校に通っていた頃、シェフの講師から「自己信頼」を教わり、徐々に、「自己信頼」とは「自分の中に神聖な存在(宗教で言う「神」)が内在していると信じること」だと気づくようになりました。働き始めてからは、「信仰心(自分に内在する神聖な存在を仰ぎ信じること)」がなくては、先へ進めないような状況に追い込まれ、わらにもすがる思いで、自分に内在する神聖な存在を仰ぎ信じながら、1つ1つをクリアしてきました。そして、次の課題は「無私」でした。「我々」という気持ちがあるから、自分でやらないと気が済まないのだと感じました。自分だけでなく、全ての生命に神聖な存在(宗教で言う「神」)が内在していると信じれば、自分以外も、信じて、任せることができるはずなのですよね。自分だけではどうにもならない状況に追い込まれなければ、任せようと思えなかったでしょう。

しかし、自己信頼信仰心無私を心がけても、なかなか心の平安を保つことが困難でした。いつも、「何々ができなかったらどうしよう?」という不安に襲われ、夜間の眠りが浅い状態になりがちでした。しかし、全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」を心がけるようになってから、徐々に不安から解放されつつあります。全託するためには、自己信頼信仰心無私が不可欠なのは言うまでもありません。

ここニュージーランドに来てから、いろいろな状況に追い込まれ、1つ1つクリアする中で、様々な気づきがありました。思っていた以上に厳しい体験でしたが、それがなければ気づかないまま、今世を終えていたかもしれないと思うと、ありがたい気持ちで一杯です。

30代半ばで長年勤めた会社を離れ、40代始めで日本を離れ、50を目前に、この地で新しいキャリアを始めたことも、今では、全て内在する神聖な存在の導きだったのだと思えます。これからも、内在する神聖な存在にお任せして、置かれた状況で最善を尽くしたいと決心を新たにしています。

Tadashi
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2018年02月15日

Pay rise (昇給)

ここ数週間、もう1人のシェフが長期休暇を取得していたので、平日は単独で厨房を切り盛りする日々でした。平日でも料理の注文が集中することが多くなり、以前よりも仕込みの頻度が増え、厨房を閉めた後に翌日の支度をすることもありました。

週2日間、単独で厨房を切り盛りすることに慣れたと思った矢先、週5日間になり、更に前よりも混むことが多くなりました。そのため、調理だけでなく、食材の発注や在庫など、全て独りで管理しなければならず、肉体的だけでなく、精神的にも疲労はピークでした。しかし、家内の全面的な支えのお陰で、無事に乗り越えることができました。今週からもう1人のシェフが戻ってくるので、通常に戻ることになります。

そのような中、昇給していただけることになりました。実は、新しい経営になってから1年が過ぎ、担っている業務内容は格段に増えていましたが、昇給についても、「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」しようと決めていました。

以前、サティヤ サイババ様の御言葉で、「3〜4年、同じ場所で働いていれば、おのずと評価される」と「仕事の中身が高まれば、おのずと報酬も高まる。高まる前から、報酬を求めてはいけない。」という趣旨のものがあったので、「神の時」を信じてまっていました。

いつも周りに支えられながら、1つ1つクリアしている気がします。一見、不可能のように思えることでも、全ては「自己信頼(自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること)、信仰心(自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心)、無私(神聖な存在のよい道具に徹すること)で、全託できれば、乗り越えられる」ことを魂が学習する体験のように感じます。

Tadashi
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2018年01月28日

与えられた「現状」を楽しむ?

今日は仕事が休みだったので、遅寝、家内が作ってくれた朝食と昼食を満喫しました(いつもは、早朝に起床、朝食はバーチャーミューズリ、昼食は仕事の合間にパンの切り落としをかじる程度ですので・・・)。前に書いた通り、数週間、週1日だけ休みで、1人で様々なプレッシャーを抱えなければならない状況が続きますが、「この現状」を楽しもうと思えるようになりました。前にご紹介したように、仕事の中にも神が存在するそうですしね。

「インドの聖者、サティア・サイババ様の日めくりカレンダ」の2月13日にあった以下のメッセージが目に留まりました(同様なメッセージは、マザー・テレサ様の名言の中にもあるようですが)。

以下、[Sathya Sai's message for the day]のFebruary 13から引用

Life is a challenge, meet it!  (人生は挑戦です、立ち向かいなさい。)

Life is a dream, realise it! (人生は夢です、実現しなさい。) 
Life is a game, play it! (人生はゲームです、遊びなさい。)
Life is love, enjoy it!  (人生は愛です、楽しみなさい。)


神聖な存在(神)から「今世の自分が必要な体験を得るために完璧な心身」を無償で与えて頂いているのですから、「もし、できなかったらどうしよう」と心配する必要はないのですよね。それに、肉体は滅んでも魂は永遠だと思えば、「現実生活」も、過ぎてしまえば「バーチャルのゲーム」と同じなのかもしれません。

事実、注文伝票が何枚も並んだ時も、神聖な存在が自分の中にいるのだから、全ての結果をお任せして、最善を尽くせるように祈ると、冷静に行動できて、不安や恐怖から解放されるので、楽しむ余裕が出てくる感じになるのです。

facebook[サティヤ サイ ババの御言葉]で、また、目から鱗のメッセージを見ました。仮に、何をされても、どのような扱いをされたとしても、「神からの最高の贈り物」だと信じ続けられるかどうかで、全く同じ境遇だったとしても、全く別な人生に感じられるものなのですね。やはり、「自己信頼(自分に内在する神聖な存在を信じて頼ること)」と「信仰心(自分に内在する神聖な存在を信じて仰ぎ見る心)」、「全託(全ての判断を神聖な存在に託すこと)」を持てなければ、不変の平安は手に入れられないものなのかもしれませんね。

仮に「不当な扱いをされた」と感じても、神の目から見れば、自分に何かを気づかせるためだったことが、後から分かることも少なくありません。効率の悪い人生を歩んでいると思いたくなる時もありますが、全ては、自己信頼や信仰心、全託の重要性を気づかせるために、神聖な存在が与えてくださった「最高の贈り物」だと思うと、感謝の気持ちで一杯になります。何事にも感謝できるか、不平・不満を感じるかで、人生が変わってくるものですね。もちろん、感謝できるように、神聖な存在に祈ることは不可欠ですけれども(未熟な自分だけでは、なかなか長続きはできませんので)。

Tadashi

以下、facebook[サティヤ サイ ババの御言葉 (2018.01.26)]より引用

神の前には何の欲望も置かないようにしなさい。
神があなたに何をしようとも、
あなたをどのように扱おうとも、
それが、神があなたに与えたいと思っている
最高の贈り物だからです!
―ババ
posted by T&H Therapeutic Healing at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 癒やし